練習に取り組む選手の雰囲気について話題にしましたが、昨日の3年生練習ではあまり良いものに感じなかった。
【3年生は毎回良い雰囲気で練習出来ている】
と最後の方に触れましたが毎回は言い過ぎでしたね。
良く練習が出来る日は3年生が多いのは間違いないが、その雰囲気のレベルが低い日がある。
それが昨日でした。
意欲や取り組む意識、技量、全てが高い所にないと
【良い練習】
にはならないですけど、技量はともかく、取り組む意識にバラつきがあると良い雰囲気の練習に私は見えない。
ミスして笑っている、真剣さが伝わって来ない、技量が低すぎる、これらが重なりあうとまず良い雰囲気にはならない。
技量が多少足りなくとも、真剣さが見ている人に伝わったり 一つ一つのプレーをちゃんとやろうとする姿勢があれば雰囲気は落ちない。
笑顔や笑い声はあって良いが、笑えないミスに対し、それを肯定してしまうような笑い声は、見ていて非常に不快だ。
【自分は下手だから…】
と言う子に限り、その様な振る舞いをする事が多い。
本当に下手だと思うなら誰よりも真剣に練習に取り組まないといけないはずだ。
そのミスがどれだけ自分のプライドを傷つけ、チームにマイナスをもたらすかを全く感じていないし理解もしていない。
だからと言ってプレー中にビクビクしながらやるのも良くはないが、何も感じないで、自分を肯定させているのは私は
『逃げ』
だと思うし、その姿勢は嫌いだ。
人は逃げる事やそういった時も必要なタイミングはあると思うが、そればかりになるのはいけすかないし、チームにはマイナスだ。
自分に自信がないのもあるだろうけど、そもそも自信ってのは何なのか私には良く分からない所がある。
私の場合は理解を重ねる事、より深く、正確に何かを掴めたと自分で思える事が自信に繋がるが、それは人それぞれに違いがある様に感じている。
何かに勝ったり目に見える成果を手にして自信をつけた事は今まで一度もない。
何かが出来る様になって自信をつけた事もない。
それは出来た事よりもその過程で努力した自分や、回りの人の助け、運、相手のミスなど総合的なものが結果に繋がる事を理解出来たと言う部分が自信に繋がるだけで、結果に対して得られるものは何もないのだ。
即ち、結果を得られなくても何かをやり遂げた時に得られるものが自分の中では
【結果】
で、成果はまた別の何かだと理解している。
そこまでたどり着けない場合はそれが何故かを考える。
人に聞く場合もあるし勉強する場合もあるが。
努力出来なかった、足りなかった原因を見極めるのがまた自信に繋がる。
人生に同じ場面は二度ないと言われているが、確かに自分にはそうかもしれない。
しかし、自分以外の人に自分の得た経験や知識を伝える事は可能だし、それが文化だと思うから、サッカーに対し、子供に対し、社会に対し、仲間に対し、どの様な姿勢を持って向かって行くかが最も大事な要素だと思う。
それに人から見える自分なんて適当なもんだ。
良い意味でそんなものはアテにしない方が良い。
だったら自信があるかないなど気にしないで思い切りぶつかる、自分を出してみる方が余程みんなの為になる。
それが出来ない人は自信がないのではなく自分がないんだ。
自分がないと言うのはそんなに難しい話ではなく、単に諦めているだけ。
それも全てに対して。
こういった話になるといつも思うのが結局はどんな事象も自分の内面次第、つまり自分次第だと私は帰結してしまう。
私自身が、自分を知り切れていないから人の事をとやかく言うのも躊躇いはあるが、言わない事には始まりもしないので、この様にいち情報としてインターネットの世界に発信しているのであります。
迷いながらも現況があると言うのもその人や取り巻く周りの人達に何か意味があると思う。
あまり多くを望まず、しかし高みは目指して、頑張って行って欲しいと、自信のない人達に言いたいですね。
私はそういった人達が嫌いではないから。
それでは今日も練習頑張って来ます伃